劇団時代のことを書こうと思う。
実は、劇団を解散してから16年ほど経過しています。
今まで、
演劇を題材にした小説は書いたことはあり、エブリスタ(小説等の投稿サイト)に置いたままにしてあります。
しかし、劇団活動の体験談を書くのは初めて。
その体験は、良いことも悪いことも含め、あまりにも色々なことが起こったので…
とうてい気持ちの整理が追いつかず、今まで書こうとしたことはありませんでした。
だけど、もういい歳だし、ブログを始めたこのきっかけを逃したら、もう一生書かずに消えていくだろう…
それは、かなり寂しいと思い、書いてみることにしました。
私はその劇団で、3つの仕事を兼務していました。
主宰、制作、劇作家の3つです。
猛烈にやることがあり、劇団に人生のすべてを捧げるしかない状況。
本当は劇作家志望なのに……
執筆期間はありましたが、それ以外の時間は制作の仕事に没頭することになるのです。
しかし、無名の私が、自分の戯曲を舞台で上演するには、それが近道だったのです。
そのような小劇団は東京にあふれ、全盛期には数百の劇団が存在しているという話も聞きました。
制作の膨大な仕事の中のひとつに、広報があります。
チラシをつくり、それを撒くのです。
当時は今のようにネットの世界が充実していませんでした。
ホームページはつくりましたが、SNSのような便利なものはありません。
紙の雑誌『ぴあ』頼みのところがあり、『ぴあ』の編集さんは劇団に対して、絶大な権力を持っていましたっけ。
皆さんは、「折り込みチラシ」なんて知っていますか?
最近は新聞もとらない人が多いそうなので、新聞に折り込まれたチラシなんかも見たことがないかもしれませんね。
当時の劇団の制作担当者は、チラシをコロコロ引っ張って運んで、他劇団の当日パンフレットに折り込みをさせてもらう。
というのが、仕事のひとつでした。
私は、数千枚というチラシを折り畳み式キャリーに縛り付け、
コロコロ ゴロゴロ
都内を引いて歩き回りました。
そりゃあ、重いよ!
重い。重いんです。
当時は今のように地下鉄も建物もバリアフリー化が進んでいなかった。
だから、持ち上げるんですよ!
おもたーい、紙の束を金属の折り畳み式キャリーごと。
プルプルと震えながら、階段を一歩
また一歩って……
公演前なんか、仕事量が多すぎて、ろくに寝てないのに一人で都内を、
あちらの小劇場へ
こちらの小劇場へ
とチラシを運び、立ったまま、ロビーか客席で、他劇団の制作さん達と円陣くんで、流れ作業でパンフレットに自分の劇団のチラシを一枚、また一枚と折り込んでいくわけです。
もちろん、手作業です。
ロボットがやってくれるわけじゃない。
だけど、稽古中の芝居の大切なチラシですから。
いい舞台になるって信じていたから。
私がやらなきゃ、誰もやってくれないから。
根がまじめで手抜きが出来ない私は、全力でやっていました。
いつか、劇団が売れるって信じてたんですね。
今思うと、若い夢です。
結局、劇団も、どの役者も売れなかった……
その時は、突然やってきました。
本番を近くなってきたある朝、私は体をちょっと動かしただけで激痛が走るようになってしまったのです。
焦りました。
まずベッドで寝がえりも打てず、起き上がることもできなかった。
腰痛持ちの方は、経験上知っていますよね?
私と同じく、椎間板ヘルニアをやった方なら、あの地獄のような痛みをよく知っていると思います。
さすがに整形外科にいく許可をもらい、受信しました。
MRIをとり、椎間板ヘルニアと診断されました。
痛み止めを飲み、リハビリをしろと言われますが時間がありません。
しかたがないので、鍼灸院で背中と腰に、置き針をしてもらいました。
そして、
私は、傘を杖替わりにして、稽古場へ通いましたっけ……
あれは、30代半ばのことです。
今思うと、その年齢だったから、無理ができたんだとわかります。
56歳の今だったら、そんな無理もできません。
Show must go on !
って聞いたことありますか?
まさに、そういう世界なんですよね。
だけど……
当時は夢中だったから、気づかなかったけど……
いや、気づかないふりをしていたのか?
本当は私は劇作家志望だったわけです。
それなのに、劇団の制作の仕事に忙殺されて……
だから、執筆の時間はどんどんとれなくなっていき……
あの、若くて体力があり、頭も冴えていた黄金の時間に、もっと書く方に力を入れるべきだったのでは……
そうしたら、今、私は異なる道を歩いていたのではないか……
後悔は、過ぎてからしかできない。
うーん……
と、劇団時代を回想しながら、私はストレッチポールに背中をのせます。
このストレッチポールは当時買ったもの。
それを今も使っているのです。
椎間板ヘルニア持ちの私は、日々ストレッチが欠かせません。
サボると、腰ばかりか、臀部、膝まで痛むので……
つまり、このストレッチポールは20年くらい使ってるわけです。
さすがに少々変形してきたので、そろそろ替え時と思うけど、もう相棒みたいに愛着があるので、なかなか手放せない。
ああ、でも、役者のなかには折り込みチラシ、手伝ってくれる子いたなぁ……
私は背中と腰を伸ばしつつ、若かった過去を振り返ります。
腕をぐううーーんと上へ伸ばし、床の方へ落とします。
だけど…
私に制作をやれと命令した演出家は、10年間で一度も手伝ってくれなかった……
暗幕が降りたみたいに、私の心が暗くなります……
劇団時代の強烈なエピソードは、まるで熱帯雨林の様相ーーー
これから、だんだんに書いていこうと思います。
平成の東京、小劇場の演劇界という
かなりマイナーだけど、
ちょっと覗いてみたいという方は、ぜひおつき合いくださいね!
よろしくお願いします(^^)
☆初めて広告を入れてみました。
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